12月だというのに朝から雨がざばざば。バスも飛行機も遅れながら東京へやってきました。京急で東銀座に直行。
〇さよなら歌舞伎座十二月大歌舞伎
こと12月に限っては京都南座の顔見世がありますから、こちらの歌舞伎座は多少神無月的な気がしなくもないのですが、やっぱりねえ、宮藤さんの新作となりゃ観たいじゃないですか。たっかいチケットを奮発しました。
会場に着いたのは一幕目が終わっての休憩中で、なんとか二幕目には間に合ったのですが、いやぁやられました。演目ではなく、となりのおばちゃん'sにです。四六時中紙袋やビニール袋をゴソゴソするわ、上演中にイヤホンガイドの感想を口に出して述べ合うわ。もう散々で、たまりかねた前のお客さんが「ちょっと静かにして下さい」といっても、さほど改める様子はなく、若者のマナー違反がとかく言われますけど、中高年のマナー違反もなかなかなものですよ。
あ、肝心のお芝居はですね。後ろに座ってた方の「お染(=孝太郎さん)がもう少し美人だったらねえ」という感想に私も一票。福助さんは相変わらず妙に上手かったです。
有名な「身替座禅」は三津五郎さんの「山ノ神」がなんだか松坂慶子さんみたいでしたわ(良かったですよ)。
お芝居が終わって、居るよねぇこういう奥さん・・・なんて考えてたら、例の迷惑おばちゃんの声が何とはなしに耳に入ってきました。
「歌舞伎で静かにしろなんていうのは地方モンだよ。江戸っ子は黙ってなんか見ないもんだ」
うっわー、久々なかなかパンチの効いたお言葉。そっと横を見てみると、ありゃまイケズそうなお顔。つかもうその言葉だけで江戸っ子失格なんじゃね?そりゃ「ひたすら黙って観ろ」とまでは申しませんけど、野崎村って悲恋ものですし、べらべらお茶の間トークしながら観るものではないでしょうに。口には出しませんでしたけど・・・。
そうこうするうちに昼席のトリ、宮藤さんの新作「大江戸りびんぐでっど」が始まりました。平日昼間でお客さんも比較的高齢の方が多かったせいもあるでしょう。最初はぼちぼちと笑いも湧いてたんですが、途中からはそのアバンギャルドさに引きまくり、終盤のキモに至ってはついて行けなくなるお客さん多数といった印象でした。
なんせステージでは「ええじゃないか」のノリで「りびんぐでっど♪りびんぐでっど♪(=生ける屍)」って三階さんたちを含めた役者さんたちが踊り続けてんですからね。観客も演者も歌舞伎そのものも人生も、意識しなきゃ生ける屍になっちゃうよってことなのかなー、なんて、でもそれをしみじみ訴えないのがクドカン流。身につまされもしましたが、どこか勇気が湧いてくるような作品でもありました。「分からない」で片付けられちゃうのは勿体無いなあ。
実は前半の作品ではなんとなく現実のことを考えながら見てたんですけど、宮藤さんのは何時の間にか芝居に没頭してました。歌舞伎も原点は同じなんじゃないでしょうか。「この演目は〇〇さんやら□□さんやらで何回も観たよ」などと得意げに語るベテランさんのためだけの歌舞伎は、形式美を通り越してどこか本質から乖離したものにもなりかねない。現状に満足することなく動き続ける勘三郎さん(だけじゃないけど、明らかにその代表格)ってのはやっぱりエライなあと思うのです。
いいものみました。